きらきらEvery(仮)

書き留めたいことを書く

少年ハリウッド感想2022 第19話「渡り鳥コップSP~水辺の警察学校番外編~」

 少年ハリウッドの数ある問題回の中でも、私がダントツに問題だと思っている一作。

 17話で描かれたトミーが参加したドラマが、1話を挟んでここで放送される。「渡り鳥コップ」は「もやもや刑事ドラマ」として人気とのことだが、その謎のジャンル名どおり、この回は何度見ても理解できない。同じような舞台回であるエアボーイズについてはなんとなく読み解くことができた気になるのに、果たしてこの回には何かを示唆するものが隠されているのだろうか…それすらもまだわからない。拾えそうなキーワードがあるような気がして手を伸ばすものの、それは煙のように手のひらからすり抜けていってしまう。

 もしかしたらこの「もやもや」を体験することで、渡り鳥コップのもやもやを追体験できるということなのだろうか。謎だ。

 少年ハリウッドにはライバル的存在としてZEN THE HOLLYWOOD(ゼンザハリウッド・通称『ぜんハリ』)という3次元アイドルグループがかつて存在していた。私は未見だが、このぜんハリも渡り鳥コップの演目を舞台で披露しているので、もしかしたらそこに解決の糸口が残されているかもしれない。謎だが。

 今までの仕掛け回では描写のなかった楽屋裏的表現(この場合はTVをみんなで視聴する描写)がある、という意味でも異色の回だと思う。

 ところでこの「渡り鳥コップ」の中で「ジャンクデトックス」という単語が出てくる。「ジャンクをもってジャンクを制す」、つまりジャンクフードを意識的に接種することにより、体内のジャンクを排出するという健康法(?)である。この意識は常に持っていたいと思う。現実で使える少年ハリウッドの教えの中でも、屈指の使いやすさなので皆様におかれましてもぜひ実行して欲しい。

少年ハリウッド感想2022 第18話「サプライズケーキは予想外」

 また胸がヒリヒリとするようなシュンのメイン回。この回も見返すのが辛くて、あまり見返していなかった。

 9話では夢と現実のギャップで不貞腐れていたところを、コウさんとの出会いで吹っ切ることができたシュン。その彼がまたつまらなさそうな顔をしているのは、今度は「夢」そのものを見失いかけていたからではないだろうか。

 「世界的なアーティストになる」と口にしていたのに、最近ではギターを持ってもいない。合格したとはいえ、聞いてさえもらえなかった自作の歌よりも、与えられた歌を歌って踊っている方が、女の子にキャーキャー言われる。アイドルとして芸能の世界で活動することで、「世界的アーティスト」へのハードルが、どれだけ高いかを測れるようになってしまった。

 青少年期における「反抗期」と呼ばれるものは、他人に対してではなく、力を持たない・足りない自身への歯がゆさが根底にあると思う。この時のシュンも、周りが気に入らないわけじゃなく、手紙をくれるファンが煩わしかったわけでもなく、なによりも自身への苛立ちが、周囲への態度をトゲトゲしいものにしていたのではないだろうか。

 今は結婚してケーキ屋を営んでいるという、初代少年ハリウッドのリーダーだったランに対して失礼な態度を取るシュン。「正直言うと、かっこ悪いと思ってました」。

 ときに「夢」は目標であり、原動力であり、そして重荷でもある。「世界的なアーティストになる」と、事あるごとに口にしていたシュンは、その掲げた夢の下ろし方を知らず、かつての夢を貶めることでプライドを保とうとした。夢を叶えられず、挫折することが怖かったから。かっこ悪いことだと思っているから。

 そんな態度の悪い後輩に対して、ランがあくまでも穏やかに接することが出来たのは、シュンの苛立ちの矛先を知っていたからだろうか。シュンに言わせてみれば「夢が叶わなかった人」。だけどランは、今でもダンサーになるのが夢だと言った。夢は、ひとつじゃない。夢は、上書きだってできる。大人になって夢を持ち続けることだって、カッコ悪くない。

 今まではぼんやりとした未来が不安で、自分のことすらわからない現状がもどかしくて……。それが、ランの言葉で、不安が希望に、わからない自分自身が、無限の可能性になる。想像を超えた世界は今、シュンの世界をきらめかせている。

少年ハリウッド感想2022 第17話「僕は君のアイドルだから」

 初代と新生の交流においてとりわけ縁が深いのが、同じ「運気上昇担当・トミー」の2人だろう。

 トミーはトミー先輩(便宜上こう称する)の推薦で、大人気もやもや系刑事ドラマの番外編に出演できることになった。初めてのドラマの現場で、そしてトミー先輩のコネでキャスティングされたという負い目。肩を落とすトミーに、トミー先輩は「アイドルは君の武器だよ」だと言って、優しく励ますのかと思いきや、「たいした演技力もないくせに、ドラマや映画にぽんと出られたりするもんね」と辛辣に続けた。そして、「君が少年ハリウッドじゃなかったら、僕は推薦してない。それってすごいことだろ?」とも。

 アイドルの力を、人気俳優の後輩だという立場を、負い目でなく武器に転換するこの考え方が好きだ。運命も、必然も、偶然も、すべてひっくるめて、自分のものにする。今のトミーにはまだ、その力をすべて受け入れることができないとしても。

 「一生アイドルでいるのは無理なんだよ」

 とりわけ「少年ハリウッド」に思い入れが強いトミーの前には、度々、アイドルとしての現実が突きつけられる。その現実に胸が痛んでも、トミーは目をそらすこと無く、憧れのトミー先輩に「永遠にアイドルでいる」と宣言する。まるで、自分に言い聞かせるように。現実の中で、流れる時間の中で、叶わない願いだと知りつつも、永遠を志す決意。トミー先輩は、その決意を応援すると答えてくれた。「だって僕は、君のアイドルだからね」

 「一生アイドルは無理なんだよ」と、先に語った言葉と矛盾しているように思えるけれど、そう口にしたトミー先輩の中にも、きっと永遠を願う気持ちが、あの日からあり続けたのだと思う。そして、トミーの中に、自分を輝かせる光を見つけた。その光に照らされて、かろうじてアイドルでいられる自分に気づいたんじゃないだろうか。

 この後も繰り返される「永遠」と「アイドル」というテーマ。その1つの答えが見えた気がした。

少年ハリウッド感想2022 第16話「本物の握手」

 少年ハリウッドの中でも屈指の名作として名高い本話。誰かを応援する・応援したことのある、すべてのファンにはきっと響く。

 ライブ後の握手会を始めてから、カケル以外のメンバーは「握手会だけやっていたい」と言ってしまうほど楽しげだ。それに対し、「私は握手会が嫌いです」と、テッシーに語るシャチョウ。街中で偶然好きなアイドルと出会って、そこでしてもらった握手と、劇場に来ればかならずしてもらえる約束の握手の価値の違い。もし、現実には出会えなかったとしても、「もしかしたら今日、好きなアイドルに出会って握手ができるかも」という妄想の楽しさ。握手会は、その想像という行為を奪ってしまうのでは…と危惧するシャチョウが、苦い表情ながらも握手会を認めていたのは、シャチョウの中にも迷いがあったからなのかもしれない。

 アイドルに限らず、好きなものに費やせる時間やお金はそれぞれ違う。また、「好き」の表現の仕方も人によって違う。例えば13話で紗夏香が言ったように、同じライブにいるファンでも、大きな声援を送る人、心の中でめいっぱい応援する人、現場に通う人、CDやTVを通じて応援する人など様々だ。だから、どんな形の「好き」にも、ある一定度の節度と理念をもって、「アイドル」は気持ちを返してほしいと思う。少なくとも、少年ハリウッドにはそうあってほしいと、私は思う。

 ファンと交流する機会が増え、プレゼントまで差し入れられるようになったメンバーたち。ファンがそのプレゼントに込める想いもやっぱり様々だろう。純粋に応援したい、特別なファンになりたい、あわよくばもっと近づきたい……。けれど彼らがアイドルで、相手がファンである限り、ステージの上で輝く姿を見せることしかできないし、おそらく許されない。

 「もらったプレゼントのお返しに頑張るのって、なんか違う気がして……」プレゼントを貰って単純に嬉しい気持ちと、アイドルとしてどう振る舞えばいいのか戸惑う気持ちでトミーはそう言った。

 ファンとアイドルは、まるで鏡合わせみたいな存在だ。多分、お互いに輝く気持ちを与え・与えられ続けられることが、彼らに、私たちに、「永遠」くれるのだろう。そのバランスは、とかく危うい。そんな中、傾きかけた彼らの姿勢を正してくれたのは、ひとりのファンの存在だった。

 握手イベントで、カケルはそのファンと出会う。もともと、「握手」という行為に疑問を持っていたカケル。そんなカケルに、そのファンはこう語るのだった。

 「カケルくん、握手できないくらいになってください。武道館とか、ドームとか、すっごく大きなところでお客さんをいっぱいにしてる少年ハリウッドが、カケルくんが見たいです。そしたら今日のこの握手が、もっともっと、宝物になるから……」

 もし私が、大好きなアイドルや有名人と出会ったとき、とりわけ、このときの少年ハリウッドくらい、少し背伸びして手を伸ばせば届きそうな存在に出会ったとき。こんなことを言えるだろうか。

 「本物の握手」は、アイドルとファンの間に、美しい境界を引いた。ステージの上と、客席。境界の向こう側だからこそ、憧れ、熱狂し、時折こころが触れることが叶った瞬間に、泣きたいほどの喜びを得られるのだろう。

少年ハリウッド2022感想 第15話「守り神が見たもの」

 まさかのキャット視線で描かれる15話。2期から見始めた視聴者にも優しく、キャットのモノローグが字幕として表示され、少年ハリウッドのメンバーや、ハリウッド東京について教えてくれる。それにしてももっとやり方があっただろうに、ここでキャット視線を持ってくる予想外さが、いかにも少年ハリウッドという独特さだ。

 キラがファンのことを「サーモンちゃん」と呼ぶようになったという話をきっかけに、初代少年ハリウッドはファンのことを「オレンジ」と呼んでいた、という話になり、回想に入る。

 これまでライブ映像や、合宿のビデオの中でだけ見ることが出来た彼らの姿が、キャットの記憶を通じて再生される。初代少年ハリウッドをつくりあげた、先代シャチョウを喪ってしまった彼ら。不安げな彼らを「大丈夫です。劇場もあなたたちも、私がキャットと一緒にちゃんと守りますから」と励ますテッシー。けれど程なく、彼らは「解散」を選択する。

 「なあ、もう終わりにしないか」。リーダーであるランが切り出した言葉に同意する者、反対する者。その中で、ゴッドが語った「永遠にオレンジのアイドルでいる方法」。それは、このまま少年ハリウッドを終わらせること。ファンの輝きに照らされているうちに、少年ハリウッドを最高の形で永遠にすること。

 きっとみんな、心のどこかでは、このままではいられないと気づいていたのだろう。彼らはクリスマスイブに、短いアイドルとしての人生にピリオドを打った。雪の中、別れる彼らが語る「未来」は、トミーがみたあのビデオのように、現実を知る私たちの心をヒリヒリとさせる。だからこそ、「いつか戻ってきたいな、ここに」と呟いたゴッドが、再びテッシーの前に、ハリウッド東京に戻ってきたことが、こんなにも嬉しいのだろう。

 ゴッドが2代目シャチョウとなり、ひょんなきっかけで5人のメンバーが集まり、彼らは「新生少年ハリウッド」という名前を得て、今は少なくないファンだっている。だけど、もっと、もう少し。テッシーが提案したのは、ライブ後の握手会だった。ライブの空席も目立たなくなり喜ぶテッシーと、ファンと直接触れ合うことができて楽しそうなメンバーたち。そのなかでシャチョウとカケルだけが、浮かない表情を見せる。

 アイドルとしての彼らは前進しているはずなのに、シャチョウは「このままではこの劇場はダメになる」とテッシーに語る。光の中に一瞬の影が射すような、なんともハッキリしない不安を匂わせてこの回は終わる。2期ではこういった、輪郭のぼやけた不安な要素が横たわっていて、順風満帆に見える彼らの足元をさらうような不安がつきまとっているように思う。それは、1期が光に向かう物語なのだとしたら、2期は、光の中にいる彼らが、その光を永遠にできるか、アイドルでいられるか、ということを描いた物語の性質ゆえだと思う。

少年ハリウッド感想2022 第14話「永遠のど真ん中」

 そして、彼らの新しい、神聖な旅が始まる。1期が「アイドルになる物語」ならば、14話から始まる2期は「アイドルであるための物語」だ。

 2期のOPである「HOLLY TORIP」は、ハロー世界で開いた扉のその先、まさしくサブタイトルの「永遠のど真ん中」を歌った曲だと思う。明るくも、どこか切なさと神聖さを感じさせるメロディ。歌詞はもっと顕著だ。「幾千もの時が過ぎて 何もかもを忘れる日が来ても」「時計の針 痛み連れて来ても 大丈夫 運命は君にある 美しくて眩しいだけさ」

 時間は残酷で、けれどその過ぎる時間だけが彼らを美しくきらめかせる。「旅」にはいつか「終わり」がくることも、私たちは知っている。

 初めてこの歌詞を読んだ時、もしかして劇中で解散までが描かれるのでは? とハラハラしたことを覚えている。

 長めのCパート前のEDで挿入される初代のシーン。1期ではさほど深くは描かれなかった初代少年ハリウッドにも、この2期からはぐっと踏み込んでいくので、初代少年ハリウッドが主役の小説も読んでおくと、いろいろと味わい深い。

 13話のクリスマスライブから月日は流れ、季節は初夏。あれだけ「お客さんが入るのか」で不安がっていた彼らの劇場には、開場前から列が出来るほどにはファンが通ってくれるようになったようだ。1期と2期、現実でも放映の間に3ヶ月の時間があき、私たちの目に触れない場所で成長していた彼らとの再会はとても嬉しかった。少し見ないうちに成長していた親戚の子みたいなものでもあった。

 マッキーの体調不良や、それに伴うレコーディングの経緯など、ちょこちょことしたトラブルはあったけれど、彼らの活動は、概ね順調そうに見える。以前は初代のパネルだけが掲げられていたロビーにも、新生少年ハリウッドのパネルが飾られ、写真の5人の顔つきもしっかりしたように感じられる。顕著なのは、1話と対になるような自己紹介だ。あの日、与えられた自己紹介をわけもわからないままに演じた彼らとは全く違う。堂々と、自分の血肉として名乗る彼らの姿は、かけらも恥ずかしさを感じさないものだった。

 と、新しい旅の船出にふさわしいような、期待と希望に満ちた2期の第1話。とはいえこのまま順調に進むわけもなく……。でもまずは、この始まりを祝いたい。

 この回の中で、印象的なのがキラのセリフだ。「食わず嫌いは良くないよ。僕たちも、もっとたくさんの人たちに一度でも来てもらえれば、気に入ってもらえるかもしれないのにな」。これはそのまま、少年ハリウッドという作品をなんとかして布教したい、少ハリファンの心境そのものだ。もちろん、全世界の人に気に入ってもらえるとは思わない。ただ、まだ少年ハリウッドに出会っていない人の中には、彼らのファンになり得る人がたくさんいると信じているから。

少年ハリウッド感想2022 第13話「僕たちは、永遠に生まれなおせる」

 まるで嵐の前のように、けれど年末の喧騒で心がざわめくように、その気持ちの昂りをそっと隠すように、ファーストライブを間近に控えた5人の日常。

 幼い頃から「子役」として両親、特に母親の期待を受け、「僕の居場所はここにしかないんだよ」と、マッキーに語ったキラ。彼は与えられた「夢」を、自身のものとして受け入れ、育てていく強さを得た。

 かつて仲違いした仲間とのしこりを解消したマッキー。謎の技術による歌舞伎メイクがその手助けになったのは確かだろうが、そうでなくとも、マッキーの真っ直ぐな瞳できっと、仲直りできたに違いない。

 カケルに、劇場をサボっていた時の話を切り出され「もういいよ。今が全てだよ」と遮るシュン。アイドルよりもミュージシャンになりたいと、度々口にしていたシュンへ与えられた、「あなたは未来を見ないでください。あなたが見るべきなのは今です」という言葉。その言葉を、意味を忘却しているとしても、シュンの心は今、「今」を見ている。

 「ミィのライブに行きたい!」と施設の子供たちに言われ、複雑な表情を見せていたトミーの表情も晴れやかだ。自分たちのポスターを初代の隣に飾ろうと言われ、「よし、貼ろう!」と返事をしたトミー。幼いころから憧れ続けていたアイドル。少年ハリウッド。彼の手が、その憧れの端をつかむのはもうすぐだ。

 そしてカケル。少年ハリウッド五人の家庭環境で、一番フラットなのが風見家だ。両親がいて、きょうだいが一人。多くの人が描く「普通のおうち」で育ってきた彼は、自分のことを「普通」だと思っている。「普通」の少年が、「普通」に高校を受験して、「普通」の高校生になって、学校に通っていた。あの日、シャチョウに出会ってしまうまでは。

 カケルの父が口にする「普通」の何気ない言葉。いつもは聞き流してしまうようなその言葉がなぜか心に刺さったのは、カケルが成長したからなのか、それとも「普通」から「普通じゃないもの」「アイドル」に変容しようとしているからなのだろうか。

 風見家の中で一番ハッキリとものを言う妹の紗夏香の言葉は、父の言葉とは対象的に、矢のようにカケルに刺さる。そして的確だ。「ファンにはいろんな人がいるの。そこにいる人みーんなに声が届くようにしゃべんなさいよ。みんなに届かない声は、たったひとりにも届かないの」。こんなことをビシっと言ってのける紗夏香ちゃんも、誰かのファンなのだろうか。深い。

 そしてライブ当日。クリスマスイブ。聖なる日。HOLLYWOOD東京の聖なる木、ゴッド。少年ハリウッドという物語は、そのサブタイトルが示すとおり、シャチョウ=柊剛人(ゴッド)に捧げられた物語であり、同時に、ゴッドが人生を賭して繋いだ、新しいアイドルの誕生の神話だ。

 観客の待つステージへ踏み出す彼らは今日、生まれた。おめでとう、少年ハリウッド