きらきらEvery(仮)

書き留めたいことを書く

少年ハリウッド感想2022 第12話「ハロー世界」

 前話の最後で光明が差したかと思いきや、メンバー内のギスギスは継続中。テッシーからステージ衣装を見せてもらったり、キャットがシュンの肩に止まるなど、ほっとするシーンが挿入されるものの、前回頑張って練習をしていた赤箱組と、練習に出ていなかった年長組の間にも溝があるように見える。特にマッキーの親しみやすい性格のせいもあるのか、彼に対するメンバーのあたりも強い。。そこで珍しく、いつもは口数少ないカケルが助け舟を出た。続いて、いつものトミーの明るさで場の雰囲気は悪化せずに済む。いつもならメンバー同士のやりとりを見守るだけだったであろうカケルの行動は、彼の中で何かが少し変化した、その兆しだったのだろう。

 「アイドルってね、永遠に完成しない物語のような気がしているんです。この世界に生まれても、次の世代にマイクという名のバトンを回していく。アイドルたちは、誰も知らない正解に向かって、命をつなぎ続けているのかもしれません」「彼らは自分たちの夢を叶えているのではなくて、本当は、アイドルという存在自体の夢を叶えさせられているのかもしれません」

 この回におけるシャチョウのアイドル観はこれまでよりもずっと具体的で、哲学的だ。「永遠」を読み解く緒(いとぐち)も、この一連のセリフに込められている気がする。

 一方息が合わないメンバーたちは、「息を合わせてみよう!(物理)」というマッキーのアイデアにより、それぞれがスーハーマスターになり、振りを合わせていくも、やっぱり最後が揃わない。シャチョウから、振りの変更を提案されるメンバーたち。誰もが納得していない様子ながらも、今までさんざん練習してきて揃わなかった。だから、不満はあるけれどしょうがない…そんな空気の中で、「もう一度、揃わなかった振りの方をやってみない?」と口にするカケル。さっきからの、らしくない態度を指摘されてしまう。上手く言葉にできない思いを、それでもなんとか形にしようとするカケルに、今度はマッキーが助け舟を出した。「スーハーマスターはお客さんだよ!」不器用だけど、少しずつ、手探りで前に進む五人が、ようやく見つけ出した一つの答え。

 10話でだいぶ作画にコストをかけただろうに、この回でも惜しげなくパフォーマンスを披露してくれる。5人の振りが、完璧に揃っていないところにもこだわりを感じられる。そして、そのままエンディングが流れ始め、1話からこれまでの、少しずつの積み重ねを振り返るように回想が挿入される。バラバラだった、「アイドルとは何か」ということを考えもしなかった彼らが、一歩一歩たどり着いた。それはアイドルという世界の入り口。

 「揃った―――」

 晴れやかな顔で、上を向く彼ら。前回からたまっていた鬱屈を浄化させてくれるような、神聖で、美しいシーンだった。

 そして次回予告。まさか本放送を追っていたときはキラの言う「みんなのいる場所はクリスマスまでまだまだ? 今からクリスマスイブの日程だけは空けておいてね」というのは、ただの13話の次回予告だと思っていた。だけど、少年ハリウッドは私たちとの約束を守ってくれた。この12話が放送されたのが2014年の9月。そして同2014年の12月24日のクリスマスイブの日、クリスマスライブの音声生中継が配信されると後日発表された。彼らのいる時空と、私たちのいる時空にはズレがある。だけどたまにこうして、時空の鍵を渡されて、彼らとの時間を共有できることがある。一瞬だからこそ、その一瞬が輝いて、大切な永遠の欠片になっていくんだろう。

少年ハリウッド感想2022 第11話「望まれない僕たち」

 彼らの視線が「外」に向けられるということは、自分たちが「外」から見られる可能性に至ったということでもある。クリスマスライブを前に、その視線を意識して、ギスギスとしていくメンバーたち。おそらく、チケットの捌け具合が芳しくないのも、メンバーのなかにある不安を膨らませているのだろうけど……。

 そんな中、カケルはふとしたきっかけで、初代少年ハリウッドのファンからの、心無い書き込みを見てしまう。「少年ハリウッドって、復活する必要あるのかな……」

 カケルの母に、友人を連れてライブに行くね、と言われてカケルの取った態度。憧れの少年ハリウッドとして初めてのライブを迎えるというのに、同じ施設の子どもたちに「ライブに行きたい!」と言われ、歯切れの悪い返事をするトミー。それはきっと、思春期の気恥ずかしさや反発ではなくて、自分たちの力、可能性を信じきれない自身のなさがもたらすものだったのだろう。

 「お客は来る」と楽天的にメンバーを鼓舞するマッキーも、「客なんて来ない」と、ネガティブなことを口にして予防線を張るシュンも、その根底にある不安は同質のものだったと思う。練習をサボって、クリスマス仕様できらめく街を、友人と遊ぶカケルも……。

 そんなカケルが、友人といるところをマッキーに見つかり、視線があってしまう場面。マッキーが一瞬、ほんの一瞬だけ、気まずそうな顔を見せるのが、そしてすぐに笑顔を見せるのが、マッキーという人物を端的に表していると思う。

 1話からずっと、自分の未来を、行き先を、ぼんやりと不安に思っていたカケル。現状に不満が有るわけではない。何になりたいわけでもない。けれど、このままこの道を進んでしまって良いのだろうか。「君のものだよ」と、渡された地図があれば、迷わずに進めるのに───

 そんなカケルの前に落ちていたのが、マッキーが作った、クリスマスライブのチラシだった。そしてそこに描かれた、ハリウッド東京への地図。歩道に捨てられ、雑踏にまみれたそのチラシが、カケルにとっての道標になった。

少年ハリウッド感想2022 第10話「ときめきミュージックルーム」

 まさかの全編音楽番組回。同じキングレコードだからって、ミス・モノクロームまで出演するとは誰が予想しただろうか。本放送時はミス・モノクロームの新譜のCMが挿入されて、「少年ハリウッド」が私たちの次元に来てくれた! というメタな仕掛けもあり、CMさえも作品が私たちにかけた魔法のひとつのようだった。

 5話「エア・ボーイズ」の時にも思ったが、もし私がアニメに関わる人だったら、「よしこの回は音楽番組回にしよう!」と決断は出来ても、一秒も楽屋裏を描かないなんて決断できなかったと思う。さらに少年ハリウッドはまだ新人なので、Aパートで出番が終わってしまうのも潔い。

 作画やカメラアングルも見応えあり、何より本当に一本の音楽番組として成立しているので、少年ハリウッドを知らない人に布教するには最適の回かもしれない。

 ……ではあるのだが、本音を言えば、1話から9話を通してみてから、この10話にたどり着いて欲しいとも思う。アイドルじゃなかった、まだ何者でもなかった5人が、これまでの9話をかけて得たステージ。もちろんその陰には先輩である大咲香さんの力添えがあってこそなのだけど、コウさんだって何者でもない彼らのままだったら、力添えをしようだなんて思わなかったはずだから。今まで応援していたアイドルグループがとうとう、バラエティではなく、歌って踊るアイドルとしてテレビに出演するという得難い体験を、この回はさせてくれた。

 そしてこの回では、原宿ガールの高杉ちえりちゃんも登場。原宿ガールといえば、少年ハリウッドの原型ともなった作品で、ちえりちゃんも「32歳の女性がある日、17歳に間違えられスカウトされ、アイドルになる」という、シャチョウと同じ設定になっている。(などと書きつつ、不勉強なオタクなので、まだ小説を読めてはいない)

 トークでも喋らず、曲だけを披露してくれたちえりちゃん。その可愛らしい歌声は一体誰? と、エンドロールで中の人…もとい、ちえりちゃんのお友達名を確認するも、存じ上げない方で、早速検索をかけてみたら…杉浦弥代子=原宿ガールの主人公=高杉ちえりちゃん……なんという徹底ぶり。
 それでも、もしかしたら、などと、色々邪推をしていたけれど、ハリウッドファクトリーのホームページが開設されて、そこに高杉ちえりちゃんの名前があって、反省しました。ちえりちゃんはちえりちゃん。原宿ガールのメンバーのひとり。もうそれでいいじゃないか。

少年ハリウッド感想2022 第9話「みっともない輝き」

 シュンがメインの回は、いつもヒリヒリとして、見返すのが少し辛い。それは多分、シュンがメンバーの中で一番、私に(もしくは私たちに)近いからじゃないかな、と思う。

 以前の感想でも書いたが、少年ハリウッドのメンバー5人は、みんながみんな「アイドルになる」という強い思いでそうなったわけではない。というか、厳密に言えばトミーでさえも「アイドル」ではなく「少年ハリウッド」に憧れていただけで、誰一人「アイドル」になりたいと思っていたわけではない。その中でもとりわけ、ずっと「アイドルよりも歌手になりたい」と主張し続けていたのがシュンだ。

 ひょんなことから少しずつテレビの仕事も入ってくるようになったが、バラエティを中心とした仕事は思い描いていた内容とは違って、自分の理想とのズレがどんどん大きくなる。なんだかんだ楽しそうそうに仕事をするメンバーをよそに、鬱屈した思いでシュンの表情は曇っていく。

 事務所に黙って受けた音楽事務所のオーディションでは、せっかく最終選考まで進んだのに、自作の曲を聞いてもらえることはなく、「あなたの一番のアピールポイントはどこだと思いますか?」「顔でしょ。その見た目」と、容姿の良さだけを褒められてしまう。ここでも本当に見せたい自分を見てもらえない。落胆の表情を浮かべるシュンだったが、私は(やっぱりシュンって、客観的に見てカッコいいんだな)と思ったりしてしまった。

 そんな悶々とした中で出会ったのが、初代少年ハリウッドで、今はシンガーとして成功している大咲香だった。「正直なったらどう? ホントは人気者になりたい、チヤホヤされたい、ああモテたい!って思ってるんじゃない?」コウとの出会いで、何かを一つ乗り越え、カッコつけずに「女の子にモテたい!」と口にするシュンが清々しい。

 そして、今の少年ハリウッドのみんなは気づいていないけど、彼らはみっともなさすら輝く年頃。それに気がつけるのはいつだって、その季節を越えたあとなのだ。

少年ハリウッド感想2022 第8話「永遠の花火」

 3話の初代少年ハリウッドのエピソードと対になっている夏の合宿回。シャチョウから年内にライブ活動を始めると告げられ、今まで「外」(ファン・お客さん)に対してあまり向けられていなかった意識が、ようやく向けられようになる。七話までで「自身」と「アイドル」という内なるものを見続け、一歩踏み出した彼らの先に待っていたのが「外」の世界だったのだ。
 少年ハリウッド界におけるアイドル哲学がハッキリと、テッシーを通して語られる。多分この時の彼らには、それはまだ理解できないことなのだろうけど。だって彼らには、まだ向き合うファンも居なければ、ステージの上でアイドルを演じてもいないのだから。
 秘密を告白し合おうと言ったり、シュンのギターを伴奏にみんなで歌ったり、アイドルにはお約束の寝起きドッキリを仕掛けたり…十代の男の子たちはとても単純で、少しおバカで、とてもきらめいている。けれどそのきらめきをステージで見せるのは、そのきらめきを「永遠」にするのは、とても難しいことなのだ。
 そしてあの日、トミーが見た初代の映像のように、彼らは夢をビデオに収めていく。彼らの夢は、いつか振り返ったときに、どんなふうに映るのだろうか。そして、カメラマンを務めていたトミーの語る夢。「僕はね、ずっとみんなと歌って踊って、ずっと少年ハリウッドでいたいな」
 かつて、初代トミーが語った夢。そしてその映像を見て「叶ってないよ…」とトミーが呟いた夢。「永遠にアイドルは無理なんですよ」と、冷たい現実を突きつけられた夢。それでも、トミーは夢を語る。「ずっと少年ハリウッドでいたい」。三話で自身を「今日からトミーと呼んで」と言ったときから、もう彼の覚悟は決まっていたんだろう。彼は憧れの少年ハリウッドを超えて、少年ハリウッドを継いで、「ずっと少年ハリウッド」でいると───
 「僕たちは、叶えようね。初代が叶えられなかったことも、僕達の夢も、叶えようね」
その誓いが達成されるかは、まだわからない。わからないけれど、そうであって欲しいと願う気持ちが、彼らを永遠に近づけるのだろう。

少年ハリウッド感想2022 第7話「人生に人生はかけられない」

 2話のEDで、あんなに素敵な「子鹿の靴」を披露してくれたカケルが、まさか音痴だったとは。中の人の歌唱力は高いのに、よくこんなに絶妙な音痴具合を表現できたと思う。わかりやすい音痴ではなくて、なんとなく不安になる音痴。少年ハリウッドの持ち歌のメロディーはちゃんと取れてる感じの音痴具合。声優さんってすごい。

 友人と遊びにいったカラオケで「いたましい歌声だな」「頑張れアイドル」と言われたことから、自分は音痴なんじゃないか?と悩むカケル。メンバーのマッキーやシュンは励ましてくれたりアドバイスをくれるが、そのアドバイスを元に自室で練習していたところ、妹の紗夏香から「下手なくせにカッコつけて馬鹿じゃないの?」と辛辣な言葉を浴びせられる。

 レッスンでも歌うことを躊躇ってしまうようになったカケルに声をかけるメンバーたち。そのうちにシュンが歌いだし、他のメンバーも楽しくなって歌い出す。そして歌いながら劇場を飛び出すカケル以外の4人。止めようとするカケルに「♬歌で止めなきゃ、戻らないぜ」と言い捨て、原宿の街に駆け出した。すれ違う人たちに冷たく笑われても、「人前で恥ずかしくないのかな」と言われても、彼らは止まらない。実に楽しそうに街を歌い歩く。それを追いかけるカケルもとうとう、4人に促されて歌を口ずさんだ。その口元には笑みが浮かぶ。

 5人の少年たちはまだまだ歌うことを止めない。「♬人生かけて走るのも違う ♬走るのに人生かけるのも違う ♬それはこの瞬間そのものが人生だからさ」「♬人生に人生はかけらんない~」

 歩道橋を渡りきった時、彼らはちょっとした原宿の有名人になっていた。通行人たちが彼らに注目している。せっかくだからアレをやろうと提案するマッキー。見物客に囲まれて、彼らはあの、1話で披露した世にも恥ずかしい自己紹介をやりきった。1話と比較してほしい。5話のエアボーイズで「役」の力を借りて舞台に上がるという経験を経て、彼らは「何かになる」力を手に入れた。シャチョウから一方的に与えられたものを、ようやく自身のものとして表現するに至った。「♬我ら『少年ハリウッド』~」

 「アイドル」を表現する彼らの姿を、もしかしたら笑う人もいたかもしれない。けれど彼らはやりきった。彼ら自身は少年ハリウッドであろうとした。「新生少年ハリウッド」の器を与えられた彼らはようやく、「少年ハリウッド」に、アイドルになったのだ。

 

 

少年ハリウッド感想2022 第6話「雨の日の居場所」

 雨の中、傘をささずにずぶ濡れでハリウッド東京まで来たキラ。「傘飽きたんだもん」。4話以前では考えられなかっただろう姿だ。エアボーイズという舞台を通して、何かを乗り越えたように、吹っ切れたように見える。それに引き替えマッキーは、前回の舞台でのミスを引きずり、「ここも自分の居場所じゃないんじゃ……」と思い始める。

 「学校も合わない、家族も面倒、この仕事も向かないってなったら、俺の居場所なんてどこにもなかったりしてな」そうカケルに吐露するも、「居場所って何?」と問われてしまう。この二人の求めているものが違うのも興味深い。「家」や「学校」があるカケルは、この先に進むべき「道」を、一人暮らしで学校も退学しているマッキーは、「居場所」をずっと探している。

 「居場所」というのは、自身の重心を置ける場所なのだろうか。それとも、自分を無条件で受け入れてくれる場所なのだろうか。たぶんマッキーにもわからないのだけど、不安定な足元から眺める世界で、「目標」があって、ピンとした芯を持っているように見えるキラのような存在は、羨ましくもあったのだろう。
 「お前には居場所があっていいよな」。うっかりと口にした軽口はキラの逆鱗に触れて、私たち視聴者もわかった気になっていたキラの覚悟の強さを知ることとなった。
 仲直りのためにキラにプレゼントしたハイパーアロミングDXは、その匂いでは気分爽快にはさせてくれなかったけど、結果的には気分爽快になったから、やっぱり効き目は本物だったんだ。「半」永久的にだけど。

 

※お詫び※ 今回のエントリですが、アップするのを忘れてしまい1日遅れになってしまいました。アドベントカレンダーとして失敗してしまいましたが何卒ご容赦ください。