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少年ハリウッド感想2022 第16話「本物の握手」

 少年ハリウッドの中でも屈指の名作として名高い本話。誰かを応援する・応援したことのある、すべてのファンにはきっと響く。

 ライブ後の握手会を始めてから、カケル以外のメンバーは「握手会だけやっていたい」と言ってしまうほど楽しげだ。それに対し、「私は握手会が嫌いです」と、テッシーに語るシャチョウ。街中で偶然好きなアイドルと出会って、そこでしてもらった握手と、劇場に来ればかならずしてもらえる約束の握手の価値の違い。もし、現実には出会えなかったとしても、「もしかしたら今日、好きなアイドルに出会って握手ができるかも」という妄想の楽しさ。握手会は、その想像という行為を奪ってしまうのでは…と危惧するシャチョウが、苦い表情ながらも握手会を認めていたのは、シャチョウの中にも迷いがあったからなのかもしれない。

 アイドルに限らず、好きなものに費やせる時間やお金はそれぞれ違う。また、「好き」の表現の仕方も人によって違う。例えば13話で紗夏香が言ったように、同じライブにいるファンでも、大きな声援を送る人、心の中でめいっぱい応援する人、現場に通う人、CDやTVを通じて応援する人など様々だ。だから、どんな形の「好き」にも、ある一定度の節度と理念をもって、「アイドル」は気持ちを返してほしいと思う。少なくとも、少年ハリウッドにはそうあってほしいと、私は思う。

 ファンと交流する機会が増え、プレゼントまで差し入れられるようになったメンバーたち。ファンがそのプレゼントに込める想いもやっぱり様々だろう。純粋に応援したい、特別なファンになりたい、あわよくばもっと近づきたい……。けれど彼らがアイドルで、相手がファンである限り、ステージの上で輝く姿を見せることしかできないし、おそらく許されない。

 「もらったプレゼントのお返しに頑張るのって、なんか違う気がして……」プレゼントを貰って単純に嬉しい気持ちと、アイドルとしてどう振る舞えばいいのか戸惑う気持ちでトミーはそう言った。

 ファンとアイドルは、まるで鏡合わせみたいな存在だ。多分、お互いに輝く気持ちを与え・与えられ続けられることが、彼らに、私たちに、「永遠」くれるのだろう。そのバランスは、とかく危うい。そんな中、傾きかけた彼らの姿勢を正してくれたのは、ひとりのファンの存在だった。

 握手イベントで、カケルはそのファンと出会う。もともと、「握手」という行為に疑問を持っていたカケル。そんなカケルに、そのファンはこう語るのだった。

 「カケルくん、握手できないくらいになってください。武道館とか、ドームとか、すっごく大きなところでお客さんをいっぱいにしてる少年ハリウッドが、カケルくんが見たいです。そしたら今日のこの握手が、もっともっと、宝物になるから……」

 もし私が、大好きなアイドルや有名人と出会ったとき、とりわけ、このときの少年ハリウッドくらい、少し背伸びして手を伸ばせば届きそうな存在に出会ったとき。こんなことを言えるだろうか。

 「本物の握手」は、アイドルとファンの間に、美しい境界を引いた。ステージの上と、客席。境界の向こう側だからこそ、憧れ、熱狂し、時折こころが触れることが叶った瞬間に、泣きたいほどの喜びを得られるのだろう。