きらきらEvery(仮)

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少年ハリウッド感想2022 第1話「僕たちの自意識」

 カケルのモノローグと、丁寧に描かれる風景描写から物語は始まる。カケルが母に促され、コップに注ぐオレンジジュース。あまりにも日常的で、写実的だ。
 私がこの『少年ハリウッド』という作品に触れたきっかけは、キャストに応援している声優さんがいたからだった。この作品はキービジュアルを見たときから、他の作品とは一線を画しているな…と印象深かった記憶がある。歯に衣着せぬ言い方にすると、明らかに当時のアニメーションのデザインからかけ離れていて、「濃いな…」と、大方の人が初めて少年ハリウッドのビジュアルを見たときに抱くのと同じ感想を持っていた。そしてこのビジュアルで、どうやらアイドルアニメらしいということ。
 当時、うたの☆プリンスさまっ♪くらいしか見たことがなかった私にとって、アイドルアニメといえばもっとキラキラで派手なものだったのに、本作はあまりにも「地味」な作品だった。OP曲はなんだか懐かしいし、「少年ハリウッド」のロゴも素朴なもの。OPアニメーションはアイドル然としていたものの、本編が始まってしまうと、まだそこにアイドルはいなかった。ジャージ姿でレッスンを受けるメンバーたち。しかもメンバー同士も仲良し5人組とは言い難い距離感。これがアイドルものでなかったとしても、昨今のアニメーション作品としてはなかなか異質だぞ、と思いながら視聴していたところでメンバーの初めての自己紹介シーンが始まる。アイドルの名乗り文化はなんとなく知っていたが、こんなふうにわけのわからないフレーズを急に押し付けられて、ハイやってみて、と言われるなんて大変すぎる。案の定恥ずかしすぎる自己紹介はシャチョウに「恥ずかしい」と評された通り、画面越しのこちらも気恥ずかしかった。私はこの先、この作品を見続けることが出来るのだろうか。少し不安だった。それと同時に、この訳の分からなさは嫌いじゃないとも思った。
 アイドルアニメとしては、本当に異例すぎるほど地味に始まったこの1話。普通、1話というのはもっと派手な展開があったり、引きがあったり、初見の視聴者を離さない仕掛けをもっと入れてくるのがセオリーだと思うのに、少年ハリウッドの1話にはそれがない。私が監督なら、もっと売りの手描きライブシーンを先に見せたいと思う。初代少年ハリウッドのライブシーンがあるとはいえ、あまりにも武器がなさすぎる1話だと見返すたびに思うのだけれど、同時に見返すたびに、1話はこれじゃなきゃいけなかったんだよなあと思い直す。13話まで、そして26話まで見てまた1話に戻ってくると、これ以上の1話ってあるのかな、と毎回妄想してしまう。
 少年ハリウッドのことはいろんな角度から愛しているが、そのうちの一つが脚本・構成だ。他の作品でももちろんそうなんだろうけど、一話一話のエピソードが連綿とつながっており、それが水面下でずっと続いているような感覚がある。派手にわかりやすい伏線ではなくて、キャラクターたちが温度を持った人間として描かれているからこそ、表に出ない感情や普段は忘れている記憶がずっとそのキャラクターの中にあって、後のエピソードに影響しているんだなと思える。そんな広がりと奥深さを感じられる世界観が好きだし、これが、キャラクターが生き生きしてることなんだろうなと思う。

 この1話で社長がメンバー一人ひとりにかけた言葉。私も、きっと少年ハリウッドのメンバー五人も、その意味を理解するのはまだ先のこと。どうか今から視聴される方におかれましては、もう少しこの5人の少年たちが「アイドル」になっていく姿を見守って欲しい。