きらきらEvery(仮)

書き留めたいことを書く

少年ハリウッド感想2022 第2話「嘘が輝く時」

「アイドルになってキャーキャー言われるのって、いじめられてるってこと?」「キャーキャー言われて手振られるのって、裏返せばバイバイってことなんじゃないの。『あんたたちこっちの人間じゃないからね』って…」

少年ハリウッド1話「僕たちの自意識」より)

 アイドルは特別で、キラキラしていて、素敵なもの。その「特別」にマイナスな意味をも持たせるのがこの少年ハリウッドという作品だ。1話の終盤では冒頭のような会話が印象的だった。この回ではそれを、カケルと学校の友人たちの「違い」をスニーカーを用いて描く。復刻されたマイクペドロのコペルニクス。友人たちは財布の中身を心配しながら、買えるどうかわからない、ショップの長蛇の列に並ぶ。一方、友人たちと別れハリウッド東京に向かったカケルは、シャチョウからそのスニーカーをもらうのだった。
 カケルはシャチョウに出会うまで、自分がアイドルになるだなんて思いもよらずに生き、シャチョウに出会わなければ今後もアイドルへの道など見出しもしなかったに違いない。そんな彼は、シャチョウに出会ってしまった。そして、選ばれてしまった。カケルの意思とは無関係に、彼は「選ばれた」。選ばれた彼はスニーカーのために長蛇の列に並ぶ必要もない。翌朝、嬉しそうに買ったスニーカーを履いて登校してきた「普通」の友人たちに、カケルは「俺も欲しかったな」と嘘をつくのだった。
 シャチョウとの会話によって、つい昨日まで同じ世界にいた友人たちとカケルの間には見えない線が引かれてしまった。そして労せず手に入れたスニーカーをカバンにしまったまま、「俺も欲しかったな」と口にしたとき、カケルは「普通」の友人たちにそっと別れを告げてしまったのかもしれない。
 話が少しそれてしまうが、少年ハリウッドと出会ってから「アイドルとはなにか」という極めて根源的なことについてしばしば考える。アイドルとは、それを応援するファンがいなければ成り立たないとも思うし、アイドルがアイドル足るためには、無の世界であってもアイドルそのものがいればいいとも思う。例えば現時点での少年ハリウッドは、まだ人前に立ったことがなく、もちろんファンもついていない。けれどカケルがシャチョウに選ばれ、成り行きとはいえ彼がそれを受け入れたときから、彼は「特別」になった。今はまだ誰に見つかっていないとしても、本質的にはアイドルと言えるのではないか? または、「普通」の人間が「アイドル」として変容するためには、誰かに選ばれる「特別」という鍵が必要なのではないか? そして「特別」とは、選ばれることで、誰かと、何かに、別れを告げられるものなのかもしれない。