きらきらEvery(仮)

書き留めたいことを書く

私たちは彼らの無慈悲な神へとなるのか

少年ハリウッドの各話タイトルが好きで、中でも19話の「神は自らの言葉で語るのか」が内容と相まってとても好きなのですが、それはおいといて、昨年(2018年12月24日)のクリスマス・イブの夜、我が地元博多で少年ハリウッドのクリスマスライブのLV(という設定にした)に参加できました。

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いつもの友人や、初見の友人と一緒に、光る棒を振りながら見るライブは本当に楽しく、ときに切なく、そしてまた次の約束をして、本当に幸せなひとときでした。少年ハリウッドの皆さん、スタッフの皆さん、ファンの皆さん、参加できなかったけど少年ハリウッドを心の片隅に住まわせてくださっているすべての皆さん、ありがとうございました。

実は私、このライブを見るのは初めてではないんですが、いえ、いつだって初めての気持ちで見たいと思っているのですが、かなしいことに初めてではないんです。だから、余計なことを考えてしまったのかもしれない。

少年ハリウッドという作品を通して描かれる「永遠」と「終わるもの」の美しさ、儚さ、輝き。それらは流れる時の中にあってこそ、きらめくのだということも、繰り返し繰り返し描写されてきたし、物理的な「永遠」を得られないのだとしても、私達が彼らを想うとき、それはいつだって「永遠」なのだということを信じさせてもくれました。

私は少年ハリウッドというグループが好きですし、作品としての少年ハリウッドも好きですし、もっといっぱいの人に知ってほしいと思っているし、彼らの活躍をもっともっと見ていたいと思っています。私以外にもそう思う人がたくさんいて、だからこそこのクリスマスライブを、福岡の地でも見られることができました。

そして、少年ハリウッドはまだまだ続いていきます。朗読劇の音声化も発表となりました。FOR 50のその先、まだ見たことがない新しい少年ハリウッドの世界が、またアニメーションという舞台で見られる日を目指しています。

それがすごく、エゴイスティックなことなのかもしれない、と、ぼんやり思っています。彼ら、新生少年ハリウッドが私たちと出会ってくれたのが2015年のこと。季節は約2巡りした世界に彼らはいるはずなんですが、今この文章を書いている私は2019年にいます。そもそも彼らの世界とは時空の歪みがあるのはわかっていたし、公式でも「時空がつながる」などの表現を用いるのですが、これから私たちと少年ハリウッドがいる世界の隔たりは少しずつ大きくなっていってしまう。それは、彼らに流れる時間の進みを停滞させ、淀ませてしまうのではないだろうか。そうも思います。

だけどやっぱり、少年ハリウッドの新しい世界が見たい。この世は愛とエゴで出来ている、と私は思っているし、そもそもアイドルというのは、私たちの望みを叶え続けるためにステージに上げられた供物なのかもしれないのです。私たちという無慈悲な神々の欲望を注がれ、永遠の舞台に楔を打たれ、彼らには輝いてもらうしかないのです。

そういう葛藤もひっくるめて、少年ハリウッドはアイドルだなあと思うし、私は私のエゴで、彼らのことをこれからも応援したいのです。